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2013年4月 6日 (土)

剣の歴史とその流派 その五

このシリーズも長くなってきた

その壱では、縄文時代からの剣の流れを

その弐では、江戸時代の「教養化」の流れにのった居合の事を

その参では、江戸時代の「競技化」の流れにのった剣術の事を

その四では、剣術から剣道に至った事を書いた

 

今日はその続き…

剣術から剣道になった時

武徳会がこだわって大きく変えた所から書いてみる

Neko201304061

武徳会は、流派ごとに異なった剣術の技法を統一して

普遍性のある竹刀競技とルールを制定する

 

原型は江戸時代中期以降の

道場稽古にあるようだが

この時

現代剣道のカタチが整えられたと言っていいのかもしれない

これは明治の話…だ

 

武徳会は

伝統的な古流武術の保存の促進と云いながら

剣道の普及と統一を強烈に進めていったようだ

 

ここで面白い話を見つけた

こんな時代があったのか

と嬉しくなったのだが

 

ヽ(´▽`)/

戦前の剣道では

流派名を名乗って試合に出る剣道家が多かったというのだ

 

(*´∀`*)へぇ~

あくまで

○○流派の誰々として剣道という闘いの場に出たというのだ

 

カッコいい♪

流派の看板を背負って戦ったのだろう

 

あくまで自分は○○流だという

誇りと意地をかけて闘う…

 

今で云えば

極真空手や

キックボクシング

ムエタイ

シュートボクシング

総合のパンクラスとかの団体(流派)が

K-1のリングで闘うようなもんかな

 

ちょっと違うか…

まぁ

それはそれとして

 

話を戻すと

明治二十年代から

東京帝国大学

慶應義塾などで

剣道は部活として始められる

 

ここでまた大きな変化が!

 

学生の柔軟で自由な発想から

現在の審判制度に近い方法が生まれたのだ

 

これが厳格な道場剣術から現代剣道へ

さらに裾野を広げるのに役立ったようだ

 

明治四十五年

武徳会は「大日本帝国剣道形」を制定

学校教育にも取り入れられていく

 

昭和に入ると

剣道は野球に勝るとも劣らない

国民的競技へと変貌を遂げる

 

そして

太平洋戦争が勃発!

 

大日本武徳会は国家機関となり

戦時教育にも利用されたようだ

 

昭和20年敗戦

 

GHQによって「大日本武徳会」解散

同時に剣道は禁止される

 

この時、大量の日本刀も没収される

アメリカ兵がお土産に本土へ持って帰ったりしたみたい

中には名刀があっただろうが…

残念だ

 

しかし

一部は東京北区の赤羽に保管され

錆び錆びになるも

後に解禁され復活

それが世に言う赤羽刀

 

今日は余談が多いかな

 

戦後、昭和二十八年

サンフランシスコ講和条約の後

本格的に剣道が解禁になるうぅぅぅぅぅぅ~

 

待ってました!

ヽ(´▽`)/

 

1952年

大日本武徳会の事実上の後継団体として

全日本剣道連盟が発足する

 

パンパカパ~ン

キタ━━(゚∀゚)━━

 

やっと現代の居合の話が出来る…

 

次回は現在の「居合」の団体を学んでみたい

流派をあげるときりがないので

代表的な団体を調べてみたい

 

では

また

byオレ

 

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